カッコイイ平家男子の宝庫!『建礼門院右京大夫集』って、どんなお話?
「もう一つの平家物語」とも言われる『健礼門院右京大夫集』とは、どんな古典文学作品なのでしょうか。『建礼門院右京大夫集』が書かれたわけを、漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<1・359・360・361番詞書>より
『建礼門院右京大夫集』は、高倉天皇の中宮・平徳子(建礼門院)に仕えた女房、右京大夫が書き記した歌集です。
歌集と位置づけられていますが、詞書には、その歌を読んだ場面が活き活きと綴られ、まるで日記か物語を読んでいるかのよう。
気分は平安末期の宮中にタイムスリップ!
右京大夫は、能書家の父・箏の名手を母に持つ、有能な女性でした。
右京大夫の父・藤原伊行は、三蹟の一人・藤原行成の六代目の子孫です。
(この家系は代々能書家として知られ「世尊寺家」と呼ばれています。)
『建礼門院右京大夫集』<1・359・360・361番詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
建礼門院右京大夫集とは
気分は平安末期の宮中にタイムスリップ!
右京大夫ってどんな人
右京大夫の父・藤原伊行は、三蹟の一人・藤原行成の六代目の子孫です。
(この家系は代々能書家として知られ「世尊寺家」と呼ばれています。)
伊行は、『夜鶴庭訓抄』という書論、『源氏物語』の現存最古の注釈書『源氏物語釈』を著したことでも知られています。
母・夕霧は、笛の名手・大神基政の娘で、夕霧自身は筝の名人でした。
父からは文学の才能を、母からは管弦の才能を受け継いだのでしょうね。宮廷女房として、その才能を発揮していきます。
右京大夫に、この名作を書かしめた最大のファクターは、何と言っても、生涯の恋人・平資盛(たいらのすけもり)の存在でしょう。といっても、右京大夫と資盛は、現実的な意味では幸せに結ばれたとは言い難い・・・。
資盛には正妻もいます。右京大夫と恋仲になってからも、つれなかったり長い間ほったらかしたりと、マメとは言い難い態度。
右京大夫の方も、資盛との冷めた関係のスキを突かれ、言い寄ってきた他の男性(藤原隆信)とも関係を持ったりします。
そんな感じでありながらも、交際が続いて7〜8年。
そこに突然訪れる、思いもかけない状況。
治承寿永の内乱(いわゆる源平合戦)です。
優雅な日々から一転、過酷な戦場に身を置かねばならなくなった資盛。
そんな彼が最期に心のよすがにしたものが、右京大夫の彼への愛でした。
母・夕霧は、笛の名手・大神基政の娘で、夕霧自身は筝の名人でした。
父からは文学の才能を、母からは管弦の才能を受け継いだのでしょうね。宮廷女房として、その才能を発揮していきます。
永遠の恋人・平資盛
右京大夫の方も、資盛との冷めた関係のスキを突かれ、言い寄ってきた他の男性(藤原隆信)とも関係を持ったりします。
そんな感じでありながらも、交際が続いて7〜8年。
そこに突然訪れる、思いもかけない状況。
治承寿永の内乱(いわゆる源平合戦)です。
優雅な日々から一転、過酷な戦場に身を置かねばならなくなった資盛。
そんな彼が最期に心のよすがにしたものが、右京大夫の彼への愛でした。
右京大夫は、彼の想いと、彼の生きた証を胸に抱きながら、残りの生涯を生きなければならなくなりました。
『建礼門院右京大夫集』は、その悲劇を経てから後に、彼女自身の手によって少しずつまとめられた作品だと言われています。
たくさんの和歌と、様々なエピソード。その合間に合間に、資盛との些細なやり取りを思い出す記述が挟まれます。
彼女は、今となっては伝える相手もいない、それでも湧き上がる行き場のない想いを、和歌に詠み、言葉に綴ることで、昇華させようとしていたのではないでしょうか。
もともと他人に見せるつもりではなかったこの作品が、世に出るきっかけとなったのは、藤原定家が、『新勅撰和歌集』を編纂する際に、彼女に詠草を求めてきたことでした。
『建礼門院右京大夫集』は、その悲劇を経てから後に、彼女自身の手によって少しずつまとめられた作品だと言われています。
たくさんの和歌と、様々なエピソード。その合間に合間に、資盛との些細なやり取りを思い出す記述が挟まれます。
彼女は、今となっては伝える相手もいない、それでも湧き上がる行き場のない想いを、和歌に詠み、言葉に綴ることで、昇華させようとしていたのではないでしょうか。
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彼女が定家に渡したこの作品は、やがて多くの人に読まれていくようになります。
こう書くと、涙々の悲しい歌集なのかという気がしてきますが、そんなことはありません!
前半部分、右京大夫が中宮・平徳子の女房として宮仕えしていた頃の話には、華やかな宮中の様子、殿上人と女房たちの他愛のない戯れなど、明るい世界が描かれています。
特に筆致が冴えるのが、当時栄華を極めていた平家の公達の個性あふれるエピソード!
意外と明るい前半・宮仕え編
前半部分、右京大夫が中宮・平徳子の女房として宮仕えしていた頃の話には、華やかな宮中の様子、殿上人と女房たちの他愛のない戯れなど、明るい世界が描かれています。
特に筆致が冴えるのが、当時栄華を極めていた平家の公達の個性あふれるエピソード!
美しく、個性的で、機知に富んだ彼らの闊達な様子が目の前に浮かぶようです。
(その分、突然その明るさが崩壊する後半の悲しみが際立つのではありますが・・・)
そう・・・・・若いんです!
(その分、突然その明るさが崩壊する後半の悲しみが際立つのではありますが・・・)
右京大夫が徳子の女房として宮仕えしていたのは 1173~1178年の五年間ですから、宮中で交流していた頃、彼らはまだ十代後半〜二十歳そこそこです。
(元服しているので、当時はもう大人扱い)