『平家物語』名言を集めました!【原文・現代語訳】
「平家物語」名言集!
今回は、コラムです。
「平家物語」の名言を集めてみました。早速どうぞ!
(ここで引用したものは覚一本です。諸本については、こちらの記事を参照ください。)
父・清盛を諫めることに関しては定評のある、平重盛の名言です。
永万元年(1165)「後白河院が延暦寺に命じ、平家を追討する」という噂が立ちました。
事実ではなかったのですが、「後白河院も、普段から平家のことをそのように考えているから、噂にもなったのだろう」と言った清盛に対し、
重盛が「そんなことは思っても口にしてはいけない」と釘を刺したのが、このセリフ。
後に鹿ケ谷の陰謀で平家を敵に回す後白河院ですが、この時点では確実な動きはありません。
人に対してなんかモヤモヤしたとき、「あの人ってさぁ・・・」って口にしてしまってから、ますます嫌いになったりしますよね。
なってほしくないことは、口にしてはいけないということです。
■平重盛 たいらのしげもり
ふたたび、父を諫める平重盛。
治承元年(1177)、鹿ケ谷の陰謀が発覚後、後白河院を幽閉しようと言った清盛に対し、重盛が諫めたセリフ。
清盛は、自分の正義に基づいて行動しているので、そんなつもりはないのですが、重盛から見れば、平家の運命が傾きかけているからこそ思いつく「悪事」に見えたのです。
追い詰められたら人は悪事を思いつく、という真理を突いています。
(実際に後白河院が幽閉されるのは、もっと後、重盛の没後です。)
■静憲法印 じょうけんほういん
自分の目で確かめたことでもないのに、噂の方を信じてしまうのはよくないですよ。
ということ。
静憲法印は信西の六男で、後白河院の信頼が厚い人物でした。
治承三年(1179)のクーデター直前、兵を率いて福原から上洛した清盛のもとへ、後白河院からの使いとして向かいます。
後白河院からうけた仕打ちをつらつらと述べた清盛に対し、朝恩を説き、諫めて言ったのがこのセリフです。
平家物語は、軍記物ですから、合戦の中でその人の生きざまを語る名台詞が多々でてきます。
■平教経 たらいののりつね
寿永三年(1184)、三草山の戦いに敗れた後、総帥・宗盛から平家の公達へ「山の手に向かえ」という指示が出たにも関わらず、みな辞退します。
そこで、頼りになるのが、平家の勇士・平教経。「おまかせください」と快諾し、このセリフを言いました。
■平敦盛 たいらのあつもり
寿永三年(1184)、一ノ谷の合戦。
助け船に乗ろうと落ちていくところを熊谷次郎直実に呼び止められ、引き返し立ち向かった敦盛。取り押さえられ、名前を問われた敦盛は、逆に直実に、「おまえはだれか」と聞き返します。直実が名乗ると、このセリフを言いました。
たとえ戦には負けても、格下の相手に対する毅然とした態度に、平家の公達としての気高い矜持が感じられます。
(※延慶本では、このセリフを言ったのは敦盛ではなく師盛です。)
■源義経 みなもとのよしつね
寿永四年(1185)、有名な梶原景時との逆櫓に関する口論です。
逆櫓とは、舟を後ろに動かすための櫓のこと。梶原景時は、自在に舟を動かすために、逆櫓をつけることを提案します。それに、義経は真っ向から反対。
そりゃ逆櫓はないよりあった方がいいのかもしれませんが、初めから撤退のことを考えているような気持ちでは、戦には勝てませんよ、ということですね。
(※実際には、梶原景時はこのとき義経軍の元にはいなかったとも言われています)
■平重衡 たいらのしげひら
捕虜となった重衡が鎌倉へ護送され、頼朝と対面したときのセリフ。
頼朝からの質問は、南都焼討の罪についてでしたが、
それに対し重衡は、決して悪びれることもなく、卑屈になることもなく、毅然と事の経緯を述べ、上記のセリフを言った後は、一言の弁解もしませんでした。
その場に居合わせた人々は感嘆し、頼朝も、重衡を丁重に扱いました。
親子愛というのも、平家物語では何度も出てくるテーマです。
■平教盛 たいらののりもり
平教盛は、清盛の弟です。
自分の娘を、藤原成経(成親の子)と結婚させていました。
ところが、治承元年(1177)、鹿ケ谷の陰謀が発覚し、藤原成親・成経親子の処刑は免れなくなります。二人の助命を嘆願するため、教盛は、兄・清盛との間に立って奔走します。
成経が我が子の婿であるがゆえに、心を砕くような思いをする羽目になり、一度は「子など持つべきものではなかった」と呟いた教盛でしたが、
わが身よりも父・成親のことを案じる成経の姿を見て、上記のように考えを改めました。
■平維盛 たいらのこれもり
寿永三年(1184)、屋島を脱出し、熊野本宮に詣でた維盛。極楽往生を一心に願うべきところを、ついこのように祈ってしまいます。
仏道に入ってなお「恩愛の念を断つことができない」という描写の仕方ではありますが、維盛の妻子への愛情の深さがわかる一場面です。
『平家物語』の登場人物ついては、こちらの記事も参照ください。
次回は、再び『建礼門院右京大夫集』あらすじ漫画です。
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※参考文献 『平家物語』新日本古典文学大系(岩波書店)/杉本圭三郎氏『平家物語全注釈』(講談社学術文庫)/ 『平家物語図典』(小学館)/ 川合康氏編『平家物語を読む』(吉川弘文館)/ 高橋昌明氏『平家の群像』(岩波新書)
今回は、コラムです。
「平家物語」の名言を集めてみました。早速どうぞ!
(ここで引用したものは覚一本です。諸本については、こちらの記事を参照ください。)
名言ー世の習い編-
■平重盛 たいらのしげもり永万元年(1165)「後白河院が延暦寺に命じ、平家を追討する」という噂が立ちました。
事実ではなかったのですが、「後白河院も、普段から平家のことをそのように考えているから、噂にもなったのだろう」と言った清盛に対し、
重盛が「そんなことは思っても口にしてはいけない」と釘を刺したのが、このセリフ。
後に鹿ケ谷の陰謀で平家を敵に回す後白河院ですが、この時点では確実な動きはありません。
人に対してなんかモヤモヤしたとき、「あの人ってさぁ・・・」って口にしてしまってから、ますます嫌いになったりしますよね。
なってほしくないことは、口にしてはいけないということです。
■平重盛 たいらのしげもり
治承元年(1177)、鹿ケ谷の陰謀が発覚後、後白河院を幽閉しようと言った清盛に対し、重盛が諫めたセリフ。
清盛は、自分の正義に基づいて行動しているので、そんなつもりはないのですが、重盛から見れば、平家の運命が傾きかけているからこそ思いつく「悪事」に見えたのです。
追い詰められたら人は悪事を思いつく、という真理を突いています。
(実際に後白河院が幽閉されるのは、もっと後、重盛の没後です。)
■静憲法印 じょうけんほういん
ということ。
静憲法印は信西の六男で、後白河院の信頼が厚い人物でした。
治承三年(1179)のクーデター直前、兵を率いて福原から上洛した清盛のもとへ、後白河院からの使いとして向かいます。
後白河院からうけた仕打ちをつらつらと述べた清盛に対し、朝恩を説き、諫めて言ったのがこのセリフです。
名言ー武士の習い編ー
■平教経 たらいののりつね
そこで、頼りになるのが、平家の勇士・平教経。「おまかせください」と快諾し、このセリフを言いました。
■平敦盛 たいらのあつもり
助け船に乗ろうと落ちていくところを熊谷次郎直実に呼び止められ、引き返し立ち向かった敦盛。取り押さえられ、名前を問われた敦盛は、逆に直実に、「おまえはだれか」と聞き返します。直実が名乗ると、このセリフを言いました。
たとえ戦には負けても、格下の相手に対する毅然とした態度に、平家の公達としての気高い矜持が感じられます。
(※延慶本では、このセリフを言ったのは敦盛ではなく師盛です。)
■源義経 みなもとのよしつね
逆櫓とは、舟を後ろに動かすための櫓のこと。梶原景時は、自在に舟を動かすために、逆櫓をつけることを提案します。それに、義経は真っ向から反対。
そりゃ逆櫓はないよりあった方がいいのかもしれませんが、初めから撤退のことを考えているような気持ちでは、戦には勝てませんよ、ということですね。
(※実際には、梶原景時はこのとき義経軍の元にはいなかったとも言われています)
■平重衡 たいらのしげひら
頼朝からの質問は、南都焼討の罪についてでしたが、
それに対し重衡は、決して悪びれることもなく、卑屈になることもなく、毅然と事の経緯を述べ、上記のセリフを言った後は、一言の弁解もしませんでした。
その場に居合わせた人々は感嘆し、頼朝も、重衡を丁重に扱いました。
名言ー親子の習い編ー
■平教盛 たいらののりもり
自分の娘を、藤原成経(成親の子)と結婚させていました。
ところが、治承元年(1177)、鹿ケ谷の陰謀が発覚し、藤原成親・成経親子の処刑は免れなくなります。二人の助命を嘆願するため、教盛は、兄・清盛との間に立って奔走します。
成経が我が子の婿であるがゆえに、心を砕くような思いをする羽目になり、一度は「子など持つべきものではなかった」と呟いた教盛でしたが、
わが身よりも父・成親のことを案じる成経の姿を見て、上記のように考えを改めました。
仏道に入ってなお「恩愛の念を断つことができない」という描写の仕方ではありますが、維盛の妻子への愛情の深さがわかる一場面です。
平家略系図
『平家物語』の登場人物ついては、こちらの記事も参照ください。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
次回は、再び『建礼門院右京大夫集』あらすじ漫画です。
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※参考文献 『平家物語』新日本古典文学大系(岩波書店)/杉本圭三郎氏『平家物語全注釈』(講談社学術文庫)/ 『平家物語図典』(小学館)/ 川合康氏編『平家物語を読む』(吉川弘文館)/ 高橋昌明氏『平家の群像』(岩波新書)