平重衡の生け捕り!【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】(みすみす捕虜になったのは?)
都落ち後の平家を支え続けた平重衡は、一の谷の戦いで生け捕りにされました。かつて、中宮亮として徳子の側近くに勤めていた重衡は、女房時代の右京大夫の最も近くにいた公達でした。 あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<213番詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・誰からも愛された重衡 ・捕虜になったのは、平家を救うため? 登場人物 右京大夫(うきょうのだいぶ) 平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。 誰からも愛された重衡 重衡は、徳子の同母弟であり、かつては中宮亮として側近くに勤めていたため、右京大夫とは慣れ親しんだ仲でもあります。 右京大夫は、重衡のことをこう評しています。 をかしきことを言ひ、またはかなきことにも、人のためは、便宜に心しらひありなどして、ありがたかりしを、 この方は冗談事をも言い、またちょっとしたことでも、他人のために好都合であるように心遣いなどして、めったにないよい人であったのに、 明るく社交的で、性格もよかったようですね。捕虜となって、東国に送られた後も、その毅然とした振舞いに魅了された人が多数いたと伝わっています。 一方で重衡は、武人としては、 南都焼討 という相当悪評高い所業を実行した人物でもあります。それにもかかわらず、彼を批判する論調がほとんど見当たらないのは、やはり彼自身の愛すべき人柄のおかげなのかもしれませんね。 みすみす捕虜になったのは、平家を救うため? 『平家物語』では重衡は、乳母子に裏切られ、自害しようとしたところを生け捕られてしまったことになっています。(巻九「重衡生捕」) ところで、重衡は、 生け捕られたのではなく、 自ら投降したのではないか という説があります。 『平家物語』では、重衡は捕虜になった後、屋島の平家陣に 「自らの命と三種の神器を交換するよう」 嘆願する手紙を出しているのですが、 ・・・ん? この期に及んで命乞い? 重衡そんなことする? という疑問が出るわけです。 この手紙、『平家物語』では、後白河院の意向で不本意ながら書かされたことになっているのですが、『玉葉』(寿永三年二月十日条)によると、 重衡が自ら提案してい...






