大原へ。建礼門院を訪ねて 前編【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】
壇の浦の戦いで一命をとりとめた建礼門院(平徳子)は、都に戻され、文治元年の秋、大原の寂光院に移りました。右京大夫は、建礼門院に会いたいと、大原を訪れるのですが…。 あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<240歌詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 漫画は、次回(後編)につづきます。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・建礼門院の大原入り ・平家物語『灌頂巻』 登場人物 建礼門院[平徳子](けんれいもんいん[たいらのとくし・のりこ]) 平清盛の娘。高倉天皇の中宮。安徳天皇の生母。 右京大夫(うきょうのだいぶ) 平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。 建礼門院の大原入り 右京大夫は、かつて女房として仕えた建礼門院に会うため、大原を訪ねました。 「さるべき人に知られでは参るべきやうもなかりしを」 (しかるべき人の案内がなければ、参上することもできなかったのですが) と書いているように、堂々と訪ねられる状況ではなかったようです。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 平家滅亡後の建礼門院の動向を見てみましょう。 壇の浦で一門とともに入水したものの、源氏方に引き上げられて、生き延びた建礼門院は、都へ帰されます。 文治元年(1185)4月28日、建礼門院は、東山の麓の 吉田 にある法印慶恵の里坊に入りました。この地で、阿証坊印西(法然の弟子)を戒師として、 出家 しました。 ところが、同年7月9日の大地震で、この 吉田 の御所が大破。住める状態ではなくなってしまいます。女房の勧めもあって 大原 の 寂光院 に移りました。 この大原への転居は、建礼門院自身の希望もあったということです。 壇の浦の戦いでは、母( 平時子 )、子( 安徳天皇 )、兄( 平知盛 )が入水。 さらに、吉田に滞在中には、生け捕りになっていた兄( 宗盛 )、弟( 重衡 )が無残に斬首されたという報せを耳にしなければならなかった建礼門院。 彼女が経験した悲劇は、想像を絶するものがあります。 都を離れた大原の地で、静かに、一門の菩提を弔って暮らしたい、と思うのも当然だったでしょう。 『平家物語』「灌頂巻」 大原に隠棲後の建礼門院については、『平家物語』(覚一