宮中で平資盛の名を聞く【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】蔵人頭・平資盛
再出仕後、思わぬところで、資盛の名を耳にして・・・。
右京大夫(うきょうのだいぶ)
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は後鳥羽天皇に仕えている。
官人どうしの会話の中から、思いもかけず、資盛の名を耳にした右京大夫。
登場人物
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は後鳥羽天皇に仕えている。
覚むるよもなき 嘆きのみする
それは「あはれのこともなのめならぬ」ほど、衝撃的な出来事でした。
右京大夫は、乱れる思いを三首の歌に詠んでいます。
328歌
水の泡と 消えにし人の 名ばかりを さすがにとめて 聞くもかなしき
●現代語訳●
水の泡と消えてしまったあの人が、それでも名前だけをこの世にとどめていて、それを聞くのも悲しい
水の泡と 消えにし人の 名ばかりを さすがにとめて 聞くもかなしき
●現代語訳●
水の泡と消えてしまったあの人が、それでも名前だけをこの世にとどめていて、それを聞くのも悲しい
329歌
面影も その名もさらば 消えもせで 聞き見ることに 心まどはす
●現代語訳●
面影もその名も、いっそのこと消えてしまえばいいのに、こうして名を聞いたり幻の面影を見るたびに、私の心は乱れる。
面影も その名もさらば 消えもせで 聞き見ることに 心まどはす
●現代語訳●
面影もその名も、いっそのこと消えてしまえばいいのに、こうして名を聞いたり幻の面影を見るたびに、私の心は乱れる。
330歌
憂かりける 夢の契りの 身をさらで 覚むるよもなき 嘆きのみする
●現代語訳●
あの人がいなくなっても、夢のような契りはこの身から離れないで、永久に覚めることもなく、嘆いてばかりいる
憂かりける 夢の契りの 身をさらで 覚むるよもなき 嘆きのみする
●現代語訳●
あの人がいなくなっても、夢のような契りはこの身から離れないで、永久に覚めることもなく、嘆いてばかりいる
今までは自分の追憶の世界の中だけで、資盛のことを思い出していただけでした。
ところが、こうして資盛が書いた公文書等を目の当たりにすると、とてもリアルに、資盛がここに居たこと、そして今はいないことを思い知らされたことでしょうね。
蔵人頭・平資盛
資盛が蔵人頭だったのは、
寿永二年(1183)正月二十二日から、七月三日まで。(公卿補任)。
寿永二年といえば、五月に倶利伽羅峠の戦い、七月には都落ちと、平家にとって激動の年です。
資盛も追討使として宇治に出陣したりしていますが、蔵人頭としての業務もきちんとこなしていたのですね。
この頃の資盛は相当疲れていたようで、右京大夫集205歌詞書には、
「ことに心のひまなげなりし」(特に精神的余裕もなさそうだった)と書かれています。
蔵人頭は平時でさえ激務と言われている役職なのに、本当に大変だったでしょうね。
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ところで、管理人は今回のこの話がとても好きなのです。
「平家の平資盛」は一族と供に滅んでしまったけれど、
「蔵人頭の平資盛」は、公的な存在として、堂々と足跡を残していた・・・。
資盛が生きていた証は、宮中にちゃんと残っていたということに感動…。
それは右京大夫にとって、ただ悲しいだけではなく、感慨深い出来事でもあったと思うんです。
というのも、右京大夫が以前の宮仕えを退いた時、資盛はまだ五位の官人でした。
(公卿補任では侍従。右京大夫集では近衛権少将)
その後も恋人として逢ってはいましたが、資盛がバリバリ働いている姿は、右京大夫もおそらく見てはいません。
再出仕したことで初めて知ることができた、蔵人頭・資盛の姿だったのです。
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