遠くに聞くだけ。平資盛の熊野詣【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|平家物語
折に触れ、宮仕えしていた頃のことを思い出す右京大夫。華やかだった宮中のことは、遠い昔のことのよう。 あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<127.159番詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・たぶん、彼はそれどころじゃない ・熊野信仰と平家物語 登場人物 右京大夫(うきょうのだいぶ) 中宮・徳子に仕える女房。現在は退職。 たぶん、彼はそれどころじゃない。 資盛が 父・平重盛 の御供で 熊野詣 に行ったという話を耳にした右京大夫。 以前、住吉詣から帰ったときには訪ねてくれたことを思い出し、資盛の心変わりを悲しみます。 参考記事 忘れていたのはどっち? 資盛の挑発 この重盛の熊野詣については、当時の貴族の日記にも記録があり(『山槐記』『百錬抄』)、治承三年(1179)三月のことだと思われます。 実はこの時には、既に 重盛の体調はかなり悪化 しており、熊野詣の直後には出家し、同年7月には42歳で亡くなってしまうのです。 住吉で優雅に貝を拾っていた頃とは全く状況が違いますね。 宮中から離れてしまった右京大夫には、そこまでの状況はわからなかったでしょうから、資盛の薄情と映ったことでしょう。 当時Twitterでもあれば、また違ったんでしょうけどね。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 重盛の没後、小松家は平家の主流から外れ、後ろ盾を失った資盛たちは、微妙な立場に立たされることになります。 資盛は、身の振り方を考えたのでしょう、後白河院との距離を縮めていきます。資盛は、院近臣同様に後白河院に伺候するようになります。 (『玉葉』 養和元年一月十七日条 ) 熊野信仰と平家物語 このときの重盛の熊野詣については 、『平家物語』巻三(医師問答) に詳しく描かれています。 この話に、ちょっと興味深いエピソードがありまして。 熊野詣の帰りに、岩田川を渡ったときに 「嫡子権亮少将維盛以下の公達が、川遊びをなさって」 、浄衣が濡れたため下の薄紫の衣が透け、 喪服のような色 に見えたらしい。 まるで、重盛の未来を予告するかのようだ、という話なのですが。 ・・・・・え? 水遊び? 維盛、