後鳥羽天皇に仕える【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】
右京大夫、宮中に再出仕します! あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<323歌詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・後鳥羽天皇 ・キャリアウーマン・右京大夫 登場人物 右京大夫(うきょうのだいぶ) 平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。 後鳥羽天皇(ごとばてんのう) 第八十二代天皇。高倉院の第四皇子。安徳天皇の異母弟。 後鳥羽天皇 後鳥羽天皇 は、第82代天皇。高倉上皇の第四皇子です。 寿永二年(1183)、平家が 安徳天皇 と三種の神器を持って行ってしまったので、神器のないまま、四歳で即位しました。 後鳥羽天皇の即位は、安徳天皇を擁する平家にとっては相当ショックな出来事でした。 平家物語には、 「やすからぬ。三の宮をも四の宮をもとり参らせて、落ちくだるべかりしものを」 と悔しがる描写があります。(巻八「名虎」) それから約二年間、 西国の安徳天皇と京の後鳥羽天皇、二人の天皇が存在していた ことになります。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ ところで、後鳥羽天皇(後に上皇)といえば・・・ 『新古今和歌集』 の編纂事業等に見られる 和歌 への情熱もさることながら、 琵琶 の腕前も名人級で、 蹴鞠 も達人並み、 武芸 にも秀で、さらには自ら太刀まで作ってしまうという、もう何だか凄すぎるオールラウンダー。 父・高倉院とは、少しイメージが違うのですが、右京大夫によれば、お顔はとても似ていらっしゃったとのこと。 この頃、後鳥羽天皇はまだ十代で、ちょうど右京大夫が宮仕えしていた頃の高倉天皇と同じ年頃だったので、なおさら面影が重なって見えたことでしょう。 後鳥羽天皇即位の経緯については、 えこぶんこ2 でくわしく解説しています。 (別ウィンドウが開きます) キャリアウーマン・右京大夫 再出仕の時期は具体的にはわかりませんが、後鳥羽天皇の在位が1183~1198年なので、その後半だとすると、右京大夫が 30代後半~40歳頃 の話になります。 後鳥羽天皇 は19歳で為仁親王に譲位し(土御門天皇)、院政を開始します。 右京大夫はそのまま院にも仕えたようで、後鳥羽上皇が 藤原俊成 に贈る法服に刺繍をしたという記事があります。(358歌詞書) これが建仁三年(1203)のこと...