平資盛、最後の願い!【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|平家物語


平家都落ちの計画を知った右京大夫。動揺する右京大夫に、資盛が願ったこととは?
あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<205番詞書>より
平資盛平維盛平知度建礼門院右京大夫集あらすじマンガ平家物語
建礼門院右京大夫集あらすじマンガ平家物語平資盛
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
◆解説目次◆ ・登場人物
・資盛の都落ちと後白河院
・資盛は帰降するつもりだったのか? 

登場人物

平資盛(たいらのすけもり)
清盛の長男[重盛]の次男。右京大夫の恋人。

右京大夫(うきょうのだいぶ)
中宮・徳子に仕える女房。現在は退職。

資盛の都落ちと、後白河院

右京大夫に語った内容を見る限り、資盛は都落ち後の平家の末路を予見していたように思えます。

けれども、実はこの時点では、資盛にはまだ後白河院という希望がありました。
資盛は、当時、後白河院の近習としても重用されていました。(『愚管抄』には「ソノコロ院ノオボエシテサカリニ候ケレバ」と記されています。)

都落ちの4日前、7月21日には、資盛は追討使として宇治方面に出陣していました。
(その後、河尻方面へ)

各方面の防衛にあたっていた平家一門は、7月23~24日頃にかけて、一旦都に引き揚げます。もちろん、都落ちに備えてです。

ところが、都落ち決行の25日の朝、後白河院は、既に鞍馬へ脱出していました。(その後比叡山へ)
ここに至って院はついに平家を見限ったのです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

後白河院の脱出を知った資盛は、相当ショックだったであろうことが想像できます。

資盛は、大叔父にあたる平頼盛とともに、法住寺殿に駆けつけ、既に脱出済みの後白河院に連絡を取ることを試みます。(平頼盛は、資盛の正妻の父・持明院基家の舅でもあるので、ここで行動をともにしたのは、その縁かもしれません。)

結果、どうなったか。

頼盛は、後白河院の取り計らいで八条院((鳥羽院と美福門院の子・暲子内親王)に身を寄せ、後には源頼朝の元に帰降します
(平頼盛の母親・藤原宗子(池禅尼)は、かつて平治の乱の折に源頼朝の助命を嘆願した人物です。その為、命の恩人の息子である平頼盛を、頼朝は疎かにはしませんでした)

一方、資盛には、取り次ぐ人もなく、院から返事すらもらえなかったといいます。 やむを得ず資盛は、西国へ向かう平家一行に合流し、その後は滅びゆく平家と命運を共にします。

 以上の話は『愚管抄』に見えるのですが、 『平家物語』では、全く別の描かれ方をしています。

資盛が平家一行に遅れた理由は、「兄・維盛が、妻子との別れを惜しんでなかなか出立しないのを、迎えに行ったから」です。 さすがにそれは創作ドラマだろう、と片付けるには、ちょっと引っかかる。
やはり当初、一門とは別行動をとっていたのだということは共通しているからです。


やっぱり、遅れて都落ちに合流したのは事実なんでしょうね。






資盛は、帰降するつもりだったのか?

吉田経房の日記『吉記』には、この頃、「小松家の公達が院の元に帰降する」という噂があったことを書き留めています。

或説、小松内府子息等可帰降之由云々、
『吉記』寿永二年七月二十五日条 

●小松家が、平家主流から疎外されていたこと
●重盛以来、小松家は後白河院との繋がりが深かったこと。
(特に資盛は、後白河院からとりわけ重用されていた)

などから、資盛が、平家一門と袂をわかち、後白河院の庇護下に入る可能性も、無くはなかったのです。

でも、『右京大夫集』の資盛は、そんなことは一切語っていませんね。
彼の言葉には、滅亡への諦念しかありません。

資盛の心中は、実際どうだったのでしょう。

ここから先は想像することしかできませんが、 戦場に出る以上、彼が右京大夫に語ったような覚悟は常に持っていたと思います。

ですが、やはり寵愛を受けていた後白河院に突如見捨てられたことは、やはり相当ショックな出来事だったはずです。
そもそも資盛は、直前(7月21日)まで、後白河院の宣旨で源氏を討つため出陣し、さらには都への帰還の連絡も、後白河院からもらっていたのです。
(『吉記』寿永2年7月24日条)

院の真意を伺いたく、法住寺殿に向かったのかもしれません。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

なお、平家唯一の裏切り者となってしまった平頼盛について弁護しておくと、彼も一門主流からは疎外されていた身でした。 かつて清盛と跡継ぎ争いをした経緯もあり、また八条院との交流も深いことから、いつ平家を裏切るかわからない、と思われていた節があります。

都落ちの時も、頼盛は山科に出陣していたにも関わらず、宗盛から事前の連絡が来ていなかったといいます。一門と共に西国に行く気にはなれないのも仕方なかったかもしれません。

頼盛は、頼朝の厚遇を受けながらも、平家滅亡の直後(文治元年 1185)五月には出家し、翌年には他界します。
兄弟、甥たちが非業の最期を遂げた中で、自分だけが生き残ってしまったことをずっと責めていたのかもしれません。




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いよいよ、資盛と右京大夫、今生の別れの時。
次回に続きます。



▼シェアボタン


にほんブログ村 本ブログ 古典文学へ
にほんブログ村





※参考文献/『愚管抄』日本古典文学大系、岩波書店/『吉記』史料大成/久保田淳氏『建礼門院右京大夫集・とはずがたり』新編日本古典文学全集、小学館/糸賀きみ江氏『建礼門院右京大夫集全注釈』講談社/『平家物語』新編古典文学全集、小学館/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』岩波書店

【おすすめ記事】

維盛の恋愛問題 ムードメーカー!平重衡 資盛、突然の訪れ バレたくなかった 高倉天皇の優しさ 隆信の横恋慕 資盛と右京、今生の別れ 戦地の資盛の夢を見る 重衡の生け捕り 維盛の入水 平家花揃えが面白い 人物ランキング
【記事一覧】他のお話はこちらからどうぞ!

【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】
<プロローグ>
■建礼門院右京大夫集ってどんなお話? 1

<これが平家の公達だ!編>
■スーパーアイドル!平維盛 1
■唯一の弱点?!維盛の恋愛問題 1
■平家のムードメーカー!平重衡
■真面目な琵琶名人!平経正 1
■主役登場はさりげなく!平資盛 1

<資盛との恋~宮中編~>
■恋なんてしないはずが?資盛のアプローチ
■忘れていたのはどっち?資盛の挑発
■雪のあした。資盛、突然の訪れ
■バレたくなかった!重衡・維盛の反応 1
■右近の橘!雪の資盛

<宮中エピソード編>
■内裏近き火事。頼もしい平重盛
■後白河院最愛の美女!建春門院滋子登場
■本気で褒めたのに!高倉天皇の優しさ
■五節の櫛!平宗盛のプレゼント

<隆信との恋編>
■どういうつもり!藤原隆信の横恋慕 1
■右京大夫、宮仕えやめるってよ
■わたしは何なの?隆信の結婚
■恋は追う方が負け?

<平家滅亡編>
■遠くに聞くだけ。資盛の熊野詣
■資盛との再会■枯れたる花
■寿永二年■倶利伽羅峠の惨敗!
■平家都落■資盛、最後の願い
■資盛と右京大夫、今生の別れ!
■六波羅と西八条■大宰府落ち
■戦地の資盛の夢を見る
■梅の花と資盛■一の谷の合戦
■重衡の生け捕り■維盛の入水
■屋島の資盛へ手紙を
■資盛からの最後の便り!
■壇ノ浦の戦い! ■壇ノ浦の戦後処理

<追憶の旅編>
■北山の思い出
■大原へ。建礼門院を訪ねて 1
■右京大夫、旅に出る
■比叡坂本、雪の朝の思い出
■波の底の資盛に■星合の空

<再出仕編>
■後鳥羽天皇に仕える
■宮中で資盛の名を聞く
■藤原隆房、藤原公経との贈答
■藤原俊成九十の賀に

<エピローグ>
■読み継がれる右京大夫集

【コラム】
■平家物語登場人物ランキング!
■平家物語名言集!
■平家美男子カタログ!平家花揃が面白い
■平家物語おすすめ本7選!
■平家が題材の江戸川柳が面白い|
■平家物語あらすじと見所