遠くに聞くだけ。平資盛の熊野詣【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|平家物語
折に触れ、宮仕えしていた頃のことを思い出す右京大夫。華やかだった宮中のことは、遠い昔のことのよう。
あらすじを漫画でどうぞ。『建礼門院右京大夫集』<127.159番詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
登場人物
中宮・徳子に仕える女房。現在は退職。
たぶん、彼はそれどころじゃない。
以前、住吉詣から帰ったときには訪ねてくれたことを思い出し、資盛の心変わりを悲しみます。
この重盛の熊野詣については、当時の貴族の日記にも記録があり(『山槐記』『百錬抄』)、治承三年(1179)三月のことだと思われます。
実はこの時には、既に重盛の体調はかなり悪化しており、熊野詣の直後には出家し、同年7月には42歳で亡くなってしまうのです。
住吉で優雅に貝を拾っていた頃とは全く状況が違いますね。
宮中から離れてしまった右京大夫には、そこまでの状況はわからなかったでしょうから、資盛の薄情と映ったことでしょう。
当時Twitterでもあれば、また違ったんでしょうけどね。
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重盛の没後、小松家は平家の主流から外れ、後ろ盾を失った資盛たちは、微妙な立場に立たされることになります。
資盛は、身の振り方を考えたのでしょう、後白河院との距離を縮めていきます。資盛は、院近臣同様に後白河院に伺候するようになります。(『玉葉』 養和元年一月十七日条 )
熊野信仰と平家物語
この話に、ちょっと興味深いエピソードがありまして。
熊野詣の帰りに、岩田川を渡ったときに「嫡子権亮少将維盛以下の公達が、川遊びをなさって」、浄衣が濡れたため下の薄紫の衣が透け、喪服のような色に見えたらしい。
まるで、重盛の未来を予告するかのようだ、という話なのですが。
・・・・・え?
水遊び?
維盛、そんなことする?
(ツッコミどころ、そこ)
・・・まぁ、おそらくこのエピソード自体が、『平家物語』の重盛が持つ予知能力を示す為の作り話だと思うので、そこはつっこまないでおきましょう。
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『平家物語』には、他にも熊野詣に関する話が多く登場します。
院政期には、天皇・貴族による熊野詣が盛行し、鎌倉時代以降には、武士・庶民にまで浸透していきました。
『平家物語』にも熊野信仰の影響が多く見られるのです。
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