諸行無常!六波羅と西八条【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|平家物語

寿永二年7月25日、平家はついに都落ちを決行しました。あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<205番詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・灰燼に帰した六波羅と西八条 ・都落ち哀話『平家物語』巻七 登場人物 尊円(そんえん) 右京大夫の異父兄。父は藤原俊成。 現在、右京大夫が身を寄せている。 右京大夫(うきょうのだいぶ) 平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。 灰燼に帰した六波羅と西八条 寿永二年(1183)7月25日、平家はついに都落ちを決行しました。 その際平家は、自邸をすべて焼き払って落ちて行きました。 「六波羅、池殿、小松殿、八条、西八条以下、一門の卿相雲客の家々廿余ケ所、一度に火をかけて皆焼き払ふ」 (『平家物語』巻七「維盛都落」) 鴨川の東・ 六波羅 には、東西五町(約550メートル)南北八町(約870メートル)にもわたり、平家一族の家がびっしりと立ち並んでいたといいます。 洛中の 西八条 には、清盛の広大な私邸がありました。(現在の京都鉄道博物館付近) 西八条邸は、かつて右京大夫が、 維盛など平家の公達と、月花の美しい夜に徹夜の宴を楽しんだ場所 です。平家の栄華を象徴する華やかな記憶の舞台は、平家自らの手によって灰燼となり果てました。 昨日までそこにあった平家一門の錚々たる邸宅群が、一瞬で無に帰ったわけですから、 「諸行無常、盛者必衰」 が、目に見えてわかる衝撃的な光景だったでしょうね。 都落ち哀話 『平家物語』巻七 平家一門は都の文化人との交流も深かったので、都落ちに際しての別れのエピソードが、それぞれ有名な哀話となりました。 ■平忠度と藤原俊成 清盛の弟・ 平忠度 は歌人でもあり、 藤原俊成 に師事していました。 都落ちを前に、忠度は甲冑姿のまま俊成の屋敷を訪れ、 「勅撰集に、一首でも入れていだければ」 と、自作の和歌集を託します。 俊成が承諾すると、忠度は、 「これでこの世に思い残すことはございません」 と感謝し、颯爽と馬に乗り西へ向かって去っていきました。 『平家物語』巻七「忠度都落」 俊成はこの約束を違えず、後に 『千載和歌...