平維盛の入水!|最期と生存伝説について探る【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】

恋人資盛の兄でもあり、かつて宮中で中宮権亮として右京大夫の側にいた美貌の公達・平維盛。彼は、屋島の平家陣を抜け出し、那智の沖で入水しました。
あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<215番詞書>より
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平維盛平家物語あらすじマンガ熊野参詣
春の花の色によそへし面影の空しき波の下に朽ちぬる平維盛の入水
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。

◆解説目次◆ ・登場人物
・とにかく美しかった維盛
・維盛の最期、さまざまな説
・維盛生存伝説!

登場人物

右京大夫(うきょうのだいぶ)
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。

平維盛(たいらのこれもり)
清盛の長男[重盛]の長男。右京大夫の恋人資盛の兄。

とにかく美しかった維盛

右京大夫が「いづれも、今の世を見聞くにも、げにすぐれたりしなど思い出らるる(平家のどの方も、今の世の人々を見聞きするにつけても、とても優れていたと思い出される)と言うように、平家の公達には美しく風雅で優れた人物がたくさんいます。

その中でもとりわけ、類まれな美貌で人々を魅了した平維盛は、やはり別格の存在だったようです。
215番詞書には、どれほど維盛が美しかったのか綴られています。

●原文●
際ことにありがたかりし容貌用意、まことに昔今見る中に、例もなかりしぞかし。されば、折々には、めでぬ人やはありし。法住寺殿の御賀に、青海波舞ひての折などは、「光源氏の例も思ひ出でらるる」などこそ、人々言ひしか。「花のにほひもげにけおされぬべく」など、聞こえぞかし。

●現代語訳●
際立って類まれな容姿と心遣いは、昔今見る中に例もありませんですから、折々に賞賛しない人はいませんでした。法住寺殿で行われた後白河院の五十の御賀で、青海波を舞ったときなどは、「光源氏の例も思い出される」などと、人々は言ったことです。「まったく花の美しい色つやも圧倒されてしまいそうだ」という噂でした。
※原文は新編全集(小学館)より

・・・絶賛ですね。

維盛の美貌を称えているのは右京大夫だけではなく、あの九条兼実も『玉葉』に「維盛容顔美麗、尤も歎美するに足る」(安元2年1月23日条)「衆人の中、容顔第一」(承安5年5月27日条)と記しているほどです。

維盛の美貌は、ガチの史実と言っていいでしょう。
平維盛の青海波

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

かつて中宮権亮だった維盛は、職場で側近くにいた存在でもあり、また恋人資盛の兄でもあります。右京大夫にとっては、資盛の次に縁の深い平家の公達です。

それだけではなく、右京大夫には、維盛への憧れのような気持ちも多少はあったようです。(7番詞書)
維盛から「私のことも資盛と同じように思って」と言われたという話を思い出す右京大夫ですが、きっと嬉しかったんでしょうね。
色んな意味で、維盛は特別な存在だったんだと思います。


(弟をダシにして?)維盛が右京大夫を口説いたというお話は、こちら。

維盛の最期、さまざまな説


『平家物語』巻十は、ほぼ維盛(と重衡)の巻だと言っていいくらい、出家~入水までの維盛の一連の往生譚が、
「横笛」「高野巻」「維盛出家」「熊野参詣」「維盛入水」「三日平氏(の一部)」の六章にも渡って語られます。

ご存じのとおり、維盛は「富士川の戦い」や「倶利伽羅峠の戦い」の総大将で、『平家物語』には早くから登場しているのですが、戦いの中ではそこまで心情を掘り下げた描写はありません。

ところが、都落ち~那智で最期を迎えるにあたって、これでもか、と維盛の人となりが描かれるのです。あの伝説の維盛の青海波舞について語られるのも、巻十なんです。(回想として)

維盛の高野山~熊野参詣の話は、『平家物語』諸本の間でも異同が少なく、『平家物語』の初期の段階で既にこの形でほぼ完成していたとみられています。
内容としては、高野山や熊野の縁起を多く含み、唱導的な要素が濃い章段となっていることから、成立と流布にはこれら宗教者の存在が関わっていると考えられています。



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『平家物語』とは異なる記述も見てみましょう。

■まずは『玉葉』から
又維盛卿三十艘相率指南海去了云々。
【訳】
維盛は(屋島から)舟を三十艘引き連れて、南海に向かって去っていった
『玉葉』寿永三年二月十九日条

『平家物語』では、御供数人とこっそり抜け出している維盛ですが、舟三十艘となると、これは堂々とした戦線離脱です。正面切って、平家一門と袂を分かったということになります。随分印象が違いますね。

平維盛の屋島脱走『玉葉』


■次に、『源平盛衰記』
或説に曰く、三山の参詣を遂げられにければ、高野山へ下向ありけるが、さてしも逃れはつ身ならねばとて都へ上り、院の御所へ参り、身謀首にも侍らねば罪深かるべきにもあらず、命をは助けられるべき由をぞ申し入れける。事の体不便に思し召されて、関東へ仰せ遣されけり。頼朝御返事に、「かの卿を下し給ひて、体に従って申し入るべし」と申したりければ、罷り下るべき由法皇より仰せくだされける後は、飲食を断ちたりかるが、二十一日といひけるに、関東へも下着せず、相模国湯本の宿にて入滅ともいへり。禅中記に見えたり。

維盛は、熊野三山の参詣を済ませ、高野山へ下ったが、そのまま逃れきることができない身なのでといって都へ上り、後白河院の御所へ参り、「自分は首謀者ではないので、罪は深くないはずです。命は助けてください」と嘆願した。院は不憫に思って頼朝に伝えた。頼朝は「維盛をこちらに寄越すよう」答えた。関東に下るよう法皇から告げられたあと、維盛は飲食を断った。二十一日目に、鎌倉に到着する以前に相模の湯本の宿でなくなったという。この記事は、「禅中記」に見える。
『源平盛衰記』巻四十 「中将入道入水の事」

鎌倉に連行される道中で断食して果てた、というなかなか、ショッキングなことが書いてあります。『禅中記』というのは、藤原長方の日記で、今は散逸して当該箇所はないため、この『源平盛衰記』の引用部分からしか知ることはできません。

この維盛の最期譚については、弟の宗実忠房について似たような話があることから、弟の話と誤聞が錯綜している、とも言われています。それにしても、断食という最期はあまりにも壮絶ですね。

平維盛の断食説『源平盛衰記』『禅中記』

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

当時から誤聞を含めて様々な説が行き交っていたように、今となってはどれが本当かを確かめることはできません。
ただ、右京大夫が「維盛の三位中将、熊野にて身を投げてとて、人のいひあはれがりし」と書いている為、維盛が熊野で入水したという噂は、当時から確かに都にも伝わっていたことはわかります。

維盛生存伝説!


維盛に限ったことではありませんが、平家の公達には、実は密かに隠れ住み、その子孫が繁栄したという伝説が多々あります。(いわゆる「落人伝説」です)

その中でも、古いものを紹介します。
『源平盛衰記』
或説には、那智の客僧これを憐みて、瀧の奥の山中に庵室を造りて隠し置きたり。その所今は広い畑となりて、かの人の子孫繁盛しておはし、毎年に香を一荷物、那智へ備ふる外は別の公事なし。
(巻四十「中将入道入水の事」)

『太平記』
されば平家の嫡孫惟盛と申しける人も、われらが先祖をたのんでこの所へ隠れ、つひに源氏の世につつが無く候ひけるとこそ承り候へ
(巻五 「大塔宮熊野落ちの事」)

落人伝説を突き詰めていくと民俗学の話になり、「隔離された山間僻地において、生活の過酷さや平地民からの蔑視に対抗するための精神的支柱として自発的に発生した」という説もあるのですが、

維盛の伝説の場合は、そうとも言い切れない面があります。
まず、比較的古い文献に既に書かれていることから、中世において既に紀伊では維盛生存伝承が語られていたことが想像できます。
また、小松家と縁の深い湯浅党の地盤に維盛伝説が存在している(『紀伊続風土記』『高野春秋編年輯録』)ことから、維盛に同情的だった土地柄に関係しているのではないか・・・。

真否はわかりませんが、これらの伝説を読むと、「維盛には幸せであってほしかった」という人々の想いを感じるのです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

さて、「右京大夫集あらすじマンガ」では描ききれなかった、平維盛の魅力はまだまだ沢山あります。

当ブログの姉妹サイト「えこぶんこ2」では、平維盛の生涯を『平家物語』『玉葉』『吉記』『山槐記』等の古典をベースに漫画にしています。

一般的な「気弱な貴公子」ではない、戦う維盛についても解説していますので、宜しければ是非ご覧ください。

 
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※参考文献/『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語抄』(国文注釈全書)國學院大学出版部/ 『高野春秋編年輯録』(大日本仏教全書)/鈴木学術財団 『太平記』(新潮日本古典集成)新潮社/水原一氏『新訂源平盛衰記』新人物往来社/『紀伊続風土記』歴史図書社/松永伍一『平家伝説』中央公論社/『平家物語図典』小学館/『建礼門院右京大夫集・とはずがたり』新編日本古典文学全集、小学館/川合康氏『源平の内乱と公武政権』吉川弘文館/高橋昌明氏『平家の群像』岩波新書

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