右京大夫、旅に出る【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】小松家の出世事情(維盛・資盛・清経)


大原から戻った右京大夫。つらい思い出ばかりの都を離れようと、しばらく旅に出る決意します。あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<245歌詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。

◆解説目次◆ ・登場人物
・ましてとものを 思ひ出でつる
・維盛は嫡男じゃなかった?!小松家の事情 

登場人物

右京大夫(うきょうのだいぶ)
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。

平資盛(たいらのすけもり)
清盛の長男[重盛]の次男。右京大夫の恋人。

ましてとものを 思ひ出でつる

大原を訪ねてから、右京大夫の気鬱はますますひどくなっていったようです。
「わがなからまし」(生きていたくない)とさえ思いつめた右京大夫。

ついに、しばらく旅にでることを決意します。

・・・うん。
思いつめたときは、気分転換、大事です。

それでもやはり、思い出すのは資盛のこと。
都落ちのときの資盛の気持ちを思うと、いたたまれなくなるのでした。

245歌
都をば いとひてもまた なごりあるを ましてとものを 思ひ出でつる

●現代語訳●
都を厭わしく思っている私でも、都から離れるときには、後ろ髪がひかれる思いがするのに、あの人が都落ちするときは、どんなにつらかったことだろう

悲しい思い出を少しでも忘れるために旅に出たのに、そこでもまた資盛のことを思わずにはいられない右京大夫は、本当にけなげですね。
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維盛は嫡男じゃなかった⁈ 小松家の事情

前々回の記事で、六代御前の説明で、下のような図を載せました。
平家物語の平六代(六代御前)と平維盛、平正盛と平忠盛と平清盛と平重盛

『平家物語』は、当然のように、重盛→維盛→六代を平家の嫡流として描いているのですが、実は、維盛は、重盛の嫡男ではなかったという話があります。

…どういうこと?

小松家の系図をどうぞ。

小松家系図、平資盛、平維盛、平清経

維盛資盛清経は、母親が違います。
この時代は、母親の身分(=母方の実家の力)が、出世に大いに影響しました。
維盛の母…官女。詳細不明。
資盛の母…二条院の内侍。(下総守藤原親盛の娘(親方の娘とも))
清経の母…藤原経子。(重盛の正妻。藤原成親の妹)左大臣藤原経宗の猶子であり、高倉天皇の乳母。

年齢は、維盛資盛清経 ですが、(※)
母親の身分は、圧倒的に、清経資盛維盛 なんですね。

※生年にも諸説ありますが、維盛1159年生まれ、資盛1161年生まれ、清経1163年生まれとしています。

この差は、昇進にも歴然と現れていて、
仁安元年(1166)、清経が4歳で従五位上になったとき、資盛は6歳で従五位下
維盛にいたっては、一年遅れて仁安二年(1167)に9歳で従五位下です。

清経が突出して恵まれていますね。
正妻の子の清経が、嫡子としてみなされていたことを裏付ける事実です。

このまま、正妻の長子である、清経が出世街道を進んでいくのか・・・
と思いきや、そううまくはいきません。

安元三年(1177)、ご存じ「鹿ケ谷事件」で、清経の伯父・藤原成親が失脚すると、母方の後ろ盾を失った清経の昇進は、ここから失速してしまいます。
平清経


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一方、維盛は母方の後ろ盾はなかったものの、九条兼実にも認められた作法の優美さ、また「青海波舞」で一世を風靡したその類まれな美貌を武器に、貴族社会に認められていったと思われます。清経の失速も相まって、治承二年(1178)の『玉葉』の記事では、維盛が「嫡子」とされています。
平維盛


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さて、資盛はというと、初めこそ兄の維盛より先に五位に叙されたものの、その後、完全に維盛に抜かれてしまいます。
(嘉応三年(1171)に維盛は13歳で正五位下資盛が正五位下になったのは、随分たった四年後の安元元年(1175)15歳

嘉応といえば多分、アレですよね。
嘉応二年(1170)の殿下乗合事件の当事者である資盛は、非礼な若造として認識されてしまって、それが昇進にも影響したのかもしれませんね。
平資盛

けれども資盛は、けっこうしたたかで、独自に後白河院との関係を強めていき、院の近習として後白河院に仕えます。
高倉院が崩御して後、内乱の平定に追われる平家は後白河院との連携を取らざるを得なくなります。
こうして、資盛の役割が大きくなったためか、どうもこの辺りでは資盛が嫡子としてみなされていたらしい・・・。
(参考文献:高橋昌明氏『平家の群像』岩波新書)

そういえば、都落ち以降の動向をみると、後白河院への接触を試みたり、緒方惟義の説得に向かったり、三草山の大将軍になったりしたのも、ぜんぶ維盛ではなく資盛なんですよね。

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このように、三者三様、誰が嫡男でもおかしくはない状況だったようです。

平維盛と平資盛と平清経

うーーーん、こうしてみると、
小松家の兄弟は、平家物語が描くように、仲良かったんだろうか、実際?
とか思ってしまいますね。

でも、その答えは、清経維盛が自ら入水を選んでしまった後の、資盛のこの歌が教えてくれているような気がします。

あるほどが あるにもあらぬ うちになほ かく憂きことを 見るぞかなしき
●訳●
生きているのが生きていることにもならないような辛さの中で、さらにこのような辛いことを見るのは悲しいことです。
(『玉葉集』2344 『右京大夫集』222)

父(重盛)を失い、不遇を受ける中で、苦難の道のりを共にした兄と弟。
母親は違っても、兄弟としての情はやはり特別にあったのだろうと想像できますね。

平家物語(覚一本)では、壇ノ浦の戦いで、資盛は、異母弟である有盛と、従兄弟の行盛と一緒に手を取り合って入水したと描かれています。


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右京大夫は、旅先で何を思ったのか・・・。次回、比叡山坂本へ。




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※参考文献『平家物語』新日本古典文学大系、岩波書店/『平家物語必携』學燈社/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語図典』小学館/高橋昌明氏『平家の群像』岩波新書/角田文衛氏『平家後抄』朝日新聞社/久保田淳氏『建礼門院右京大夫集・とはずがたり』新編日本古典文学全集、小学館

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