屋島の平資盛へ手紙を|後白河院と兄平維盛への想い【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】

「どこの浦からも手紙を出したりはしない。」そう誓って都を落ちていった資盛。右京大夫は自分から手紙を書くべきか、逡巡します。 あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<217歌詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・遠い屋島の資盛へ ・資盛から後白河院への手紙 ・遺された資盛と兄維盛への想い 登場人物 右京大夫(うきょうのだいぶ) 平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。 平資盛(たいらのすけもり) 清盛の長男[重盛]の次男。右京大夫の恋人。 遠い屋島の資盛へ 未練は持ちたくないという資盛の覚悟も尊重したいし、それでもやっぱり心配している気持ちを伝えたい・・・。何度も迷った末に、筆をとる右京大夫。 資盛への深い愛を感じますね。 資盛からは、たった一度だけ、寿永二年の冬に 「今は身を変へたると思ふを、誰もさ思ひて、後の世をとへ」 (今はもうこの身は生きていないものと思っているので、そう思って後世を弔ってください) という簡単な便りがきたことはあったようです。 資盛から後白河院への手紙 ところで資盛は、この冬に、右京大夫以外の人物にも手紙を出していたことがわかっています。平知康(院の側近)宛て、つまり 後白河院 に対して次のような手紙を書いていたのです。 奉別君悲歎無限、今一度帰華洛、再欲拝竜顔 【訳】 院にお別れ申し上げて、悲歎は限りありません。今一度都に帰って、再びお顔を拝見したいと思います。 (『玉葉』寿永2年11月12日条) なんと、 帰洛を願う手紙 なんですね。 残念ながらこの願いは叶えられることはありませんでした。 前述のように資盛は、院の近習として後白河院に重用されていました。都落ちの際には、法住寺殿に向かうも取り次いでもらえず、やむなく平家一行に合流したといいます。 (『愚管抄』) 『玉葉』には続けて、 「人々所疑、若奉具神鏡剣璽歟云々」 (人々は、もしかすると(資盛が)三種の神器を持って都へ戻ってくるのではないかと考えた) とあります。 当時の都側の人々の関心は、あくまでも平家が持ち出した三種の神器を取り返すことにあったことがわかります。今更、三種の神器の返還なしでの帰洛などありえない...