大原へ。建礼門院を訪ねて 後編【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】大原御幸について

前回 の続きです。 建礼門院に会うために、大原の寂光院を訪れた右京大夫。華やかだった中宮時代との境遇の落差に、驚きと悲しみを覚える右京大夫でしたが…。 あらすじを漫画でどうぞ。 『建礼門院右京大夫集』<240歌詞書>より 漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。 ◆解説目次◆ ・登場人物 ・やがて住むべき しるべとをなれ ・平家物語のエピローグ『大原御幸』 登場人物 建礼門院[平徳子](けんれいもんいん[たいらのとくし・のりこ]) 平清盛の娘。高倉天皇の中宮。安徳天皇の生母。 右京大夫(うきょうのだいぶ) 平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。 やがて住むべき しるべとをなれ 右京大夫集には、度々、出家もしないで俗世に身を置いている自分を嘆く描写が見られます。 〔242番〕 山深く とどめおきつる わが心 やがて住むべき しるべとをなれ ●現代語訳● 山深くに残しておいた私の心よ わたしがそのまま出家してここに住む手引きとなっておくれ 242歌で詠まれている、出家して建礼門院に仕えたいと思う右京大夫の願いは、実現することはありませんでした。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆ 『平家物語』では、寂光院で建礼門院の側に仕えていたのは、 大納言佐 と 阿波内侍 とされています。 大納言佐 とは、藤原輔子のこと。安徳天皇の乳母にして、重衡の妻。建礼門院とは、壇ノ浦まで命運を共にした間柄です。 阿波内侍 は、信西(藤原通憲)の娘(孫とも)。建礼門院が寂光院に住めるよう手配をした人物とも言われています。 平家の血縁でもなければ、平家滅亡の七年前には既に宮中を退下していた右京大夫の立場では、今の建礼門院に仕えることは、叶わなかったことでしょう。 隠棲といっても、生活を支援してくれる存在がいるわけですしね。 平家物語のエピローグ「大原御幸」 大原の建礼門院を訪れた人物として、もう一人有名なのが、 そう、 後白河法皇 です。 『平家物語』「灌頂巻」では、文治二年(1186)四月、 後白河法皇 がお忍びで、公卿・殿上人を数人を連れて、寂光院を訪...