北山の思い出【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|資盛の箏
時は過ぎ、資盛との思い出の場所を訪れる右京大夫。庭の様子はすっかり様変わりしてしまっていましたが・・・。
あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<234歌詞書>より
右京大夫(うきょうのだいぶ)
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。
平資盛(たいらのすけもり)
清盛の長男[重盛]の次男。右京大夫の恋人。
かつて資盛の所有地だった場所を訪れた右京大夫。
荒廃した庭と、それでも変わらず咲き続ける桜と。景色とともに、右京大夫の心情が語られる美しい章段です。
人の営みは変わっていくけれど、樹木は変わらず、毎年そこで花を咲かせる・・・
この感慨は、いつの時代も同じですね。
有名な菅原道真の「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(春を忘るな)」にも通じます。
ところで、資盛のこの庭には、
「柳桜の同じ丈なるを交ぜて、あまた植ゑ並べ」
(柳と桜の同じ高さのものを交ぜて、たくさん並べて植えてあった)そうです。
柳と桜のコントラストが、なんともオシャレな庭ですね。
「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の 錦なりける」(素性法師・古今集)という和歌もあるように、柳と桜を同時に愛でる、ということは割とメジャーだったのかもしれませんね。
以前の梅を愛でていたエピソード(211歌詞書)といい、資盛はとても風流な人だったことが伺えます。
右京大夫集には描かれていないのですが、資盛と右京大夫の共通点として、「箏」の奏者であったことが挙げられます。
前述のように、右京大夫の母は、箏の名手・夕霧。右京大夫自身も、箏を得意としていました。
一方資盛は、藤原師長に師事しており、朝廷の行事でも箏を奏していた記録があります。
治承二年正月四日の朝覲行幸では、兄・維盛が笛を、資盛が箏を担当しています。(『玉葉』)
維盛と資盛で、笛と箏のセッション?!
めちゃくちゃ聴きたいですね!!
右京大夫集に、箏の奏者としての資盛の描写はありませんが、きっと二人で箏を合わせて楽しんだりしていたことだと思います。
こうしてみると、資盛もお兄さん(維盛)に引けを取らない、ハイスペックな公達だったんですね。
『建礼門院右京大夫集』<234歌詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
登場人物
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。
平資盛(たいらのすけもり)
清盛の長男[重盛]の次男。右京大夫の恋人。
花もその世のことな忘れそ
荒廃した庭と、それでも変わらず咲き続ける桜と。景色とともに、右京大夫の心情が語られる美しい章段です。
人の営みは変わっていくけれど、樹木は変わらず、毎年そこで花を咲かせる・・・
この感慨は、いつの時代も同じですね。
有名な菅原道真の「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(春を忘るな)」にも通じます。
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ところで、資盛のこの庭には、
「柳桜の同じ丈なるを交ぜて、あまた植ゑ並べ」
(柳と桜の同じ高さのものを交ぜて、たくさん並べて植えてあった)そうです。
柳と桜のコントラストが、なんともオシャレな庭ですね。
「見渡せば 柳桜をこきまぜて 都ぞ春の 錦なりける」(素性法師・古今集)という和歌もあるように、柳と桜を同時に愛でる、ということは割とメジャーだったのかもしれませんね。
以前の梅を愛でていたエピソード(211歌詞書)といい、資盛はとても風流な人だったことが伺えます。
資盛のもう一つの顔、箏の名人
右京大夫集には描かれていないのですが、資盛と右京大夫の共通点として、「箏」の奏者であったことが挙げられます。
前述のように、右京大夫の母は、箏の名手・夕霧。右京大夫自身も、箏を得意としていました。
一方資盛は、藤原師長に師事しており、朝廷の行事でも箏を奏していた記録があります。
治承二年正月四日の朝覲行幸では、兄・維盛が笛を、資盛が箏を担当しています。(『玉葉』)
維盛と資盛で、笛と箏のセッション?!
めちゃくちゃ聴きたいですね!!
右京大夫集に、箏の奏者としての資盛の描写はありませんが、きっと二人で箏を合わせて楽しんだりしていたことだと思います。
こうしてみると、資盛もお兄さん(維盛)に引けを取らない、ハイスペックな公達だったんですね。