平重衡の生け捕り!【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】(みすみす捕虜になったのは?)
都落ち後の平家を支え続けた平重衡は、一の谷の戦いで生け捕りにされました。かつて、中宮亮として徳子の側近くに勤めていた重衡は、女房時代の右京大夫の最も近くにいた公達でした。
あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<213番詞書>より
右京大夫(うきょうのだいぶ)
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。
重衡は、徳子の同母弟であり、かつては中宮亮として側近くに勤めていたため、右京大夫とは慣れ親しんだ仲でもあります。
右京大夫は、重衡のことをこう評しています。
明るく社交的で、性格もよかったようですね。捕虜となって、東国に送られた後も、その毅然とした振舞いに魅了された人が多数いたと伝わっています。
一方で重衡は、武人としては、南都焼討という相当悪評高い所業を実行した人物でもあります。それにも関わらず、彼を批判する論調がほとんど見当たらないのは、やはり彼自身の愛すべき人柄のおかげなのかもしれませんね。
『平家物語』では重衡は、乳母子(※)に裏切られ、自害しようとしたところを生け捕られてしまったことになっています。(巻九「重衡生捕」)
「武勇に堪ふるの器量」(『玉葉』)と評され、水島合戦・室山合戦で連勝し、京奪還叶うかと言われるまでに平家を立て直してきた重衡です。
そんな彼が、自分の命惜しさに、平家が死守してきた三種の神器を手放すような要請をするとは考えにくい。
そこで、こんな仮説が考えられます。
一ノ谷の壊滅的な敗北を目の当たりにした重衡は、もはや交戦すべきでないと判断して、あえて自分の命を交渉道具として使い、一つの賭けに出たのではないか。
このまま平家が滅亡してしまうくらいなら、自らの身を敵の手中に置いてでも、なんとか和平への道を模索しようとしたのではないか・・・。
たしかに、こんな賭けを実行できるのは、総帥・宗盛と国母・徳子の同母弟である重衡だけです。
(格下の人物ならば、あっさり斬られていたかもしれません)
真相はわかりませんが、もし重衡が、平家を滅亡から救おうとして、恥を晒してでも自ら捕虜になる道を選んだのだとしたら。
彼は自分の身より、本当に平家のことを何より考えていた人なのだろう・・・
メチャクチャかっこいいと思います。
(ついに、この回が来てしまったか・・・・・)
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『建礼門院右京大夫集』<213番詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
登場人物
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。現在は退職。
誰からも愛された重衡
右京大夫は、重衡のことをこう評しています。
明るく社交的で、性格もよかったようですね。捕虜となって、東国に送られた後も、その毅然とした振舞いに魅了された人が多数いたと伝わっています。
一方で重衡は、武人としては、南都焼討という相当悪評高い所業を実行した人物でもあります。それにも関わらず、彼を批判する論調がほとんど見当たらないのは、やはり彼自身の愛すべき人柄のおかげなのかもしれませんね。
みすみす捕虜になったのは、平家を救うため?
『平家物語』では重衡は、乳母子(※)に裏切られ、自害しようとしたところを生け捕られてしまったことになっています。(巻九「重衡生捕」)
※延慶本・長門本・源平盛衰記では、裏切った後藤盛長は乳母子ではなく、乗替(代わりの馬)を預けていた郎等。覚一本等で、盛長を乳母子とするのは、重衡の悲劇性を強調する為の創作ともいわれる。
ところで、重衡は、生け捕られたのではなく、自ら投降したのではないかという説があります。
『平家物語』では、重衡は捕虜になった後、屋島の平家陣に「自らの命と三種の神器を交換するよう」嘆願する手紙を出すのですが、
ところで、重衡は、生け捕られたのではなく、自ら投降したのではないかという説があります。
『平家物語』では、重衡は捕虜になった後、屋島の平家陣に「自らの命と三種の神器を交換するよう」嘆願する手紙を出すのですが、
この手紙、『平家物語』では、後白河院の意向で不本意ながら書かされたことになっているのですが、『玉葉』(寿永三年二月十日条)によると、重衡は自ら発案しているのです。
・・・ん?
この期に及んで命乞い?
重衡そんなことする?
という疑問が出るわけです。
「武勇に堪ふるの器量」(『玉葉』)と評され、水島合戦・室山合戦で連勝し、京奪還叶うかと言われるまでに平家を立て直してきた重衡です。
そんな彼が、自分の命惜しさに、平家が死守してきた三種の神器を手放すような要請をするとは考えにくい。
そこで、こんな仮説が考えられます。
一ノ谷の壊滅的な敗北を目の当たりにした重衡は、もはや交戦すべきでないと判断して、あえて自分の命を交渉道具として使い、一つの賭けに出たのではないか。
このまま平家が滅亡してしまうくらいなら、自らの身を敵の手中に置いてでも、なんとか和平への道を模索しようとしたのではないか・・・。
たしかに、こんな賭けを実行できるのは、総帥・宗盛と国母・徳子の同母弟である重衡だけです。
(格下の人物ならば、あっさり斬られていたかもしれません)
真相はわかりませんが、もし重衡が、平家を滅亡から救おうとして、恥を晒してでも自ら捕虜になる道を選んだのだとしたら。
彼は自分の身より、本当に平家のことを何より考えていた人なのだろう・・・
メチャクチャかっこいいと思います。
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次回、維盛の入水です。(ついに、この回が来てしまったか・・・・・)
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