どういうつもり⁈ 藤原隆信の横恋慕 1【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|平家物語
恋人・資盛がつれなくなった。不安な右京大夫の前にあらわれたもう一人の男性?!
また、藤原隆信の母(美福門院加賀)は、藤原為経との間に隆信を産んだ後、俊成と再婚しています。
というわけで、直接の血のつながりはありませんが、俊成を介した縁があるのです。
(ややこしい)
あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<68・136番詞書>より
歌人。似絵の名手。
右京大夫 うきょうのだいぶ
中宮・徳子に仕える女房。
どうやら、恋人・資盛は、マメなタイプではなかったらしい・・・。
不安を抱える右京大夫の前に、突如現れたのが、藤原隆信。
一方こちらは、グイグイ攻めてくるタイプ。
なにやら、不穏な予感がしますが・・・。
この藤原隆信さん、実はただのチャラ男ではありません。
似絵(肖像画)の名手として有名で、あの、誰もが知っているであろう国宝「源頼朝像」(神護寺三像)を描いた
・・・と、かつては言われていた人です。
かつては、といったのは、近年この絵が隆信の作であることは否定され、絵の人物も頼朝ではないことが指摘されているからです。
それはさておき、隆信が似絵の名手だったことは事実です。
歌人としても活躍し、さらに、現代には残っていませんが、『うきなみ』という物語や『弥世継』という歴史物語の執筆もしていたということが伝わっています。
芸術方面のマルチな才能に恵まれた人ですね。 只人ではありません。
実は、右京大夫と藤原隆信は、全くの他人ではありません。
共通項は、和歌の大家・藤原俊成を義父に持つことです。
右京大夫の母(夕霧)は、俊成との間に尊円を産んだ後、藤原(世尊寺)伊行と再婚しました。その後、右京大夫が生まれています。
『建礼門院右京大夫集』<68・136番詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
登場人物
藤原隆信 ふじわらのたかのぶ歌人。似絵の名手。
右京大夫 うきょうのだいぶ
中宮・徳子に仕える女房。
只者ではない?!突如あらわれた藤原隆信
どうやら、恋人・資盛は、マメなタイプではなかったらしい・・・。
不安を抱える右京大夫の前に、突如現れたのが、藤原隆信。
一方こちらは、グイグイ攻めてくるタイプ。
なにやら、不穏な予感がしますが・・・。
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この藤原隆信さん、実はただのチャラ男ではありません。
似絵(肖像画)の名手として有名で、あの、誰もが知っているであろう国宝「源頼朝像」(神護寺三像)を描いた
かつては、といったのは、近年この絵が隆信の作であることは否定され、絵の人物も頼朝ではないことが指摘されているからです。
それはさておき、隆信が似絵の名手だったことは事実です。
歌人としても活躍し、さらに、現代には残っていませんが、『うきなみ』という物語や『弥世継』という歴史物語の執筆もしていたということが伝わっています。
芸術方面のマルチな才能に恵まれた人ですね。 只人ではありません。
実は親戚?! 隆信とのつながり
共通項は、和歌の大家・藤原俊成を義父に持つことです。
右京大夫の母(夕霧)は、俊成との間に尊円を産んだ後、藤原(世尊寺)伊行と再婚しました。その後、右京大夫が生まれています。
また、藤原隆信の母(美福門院加賀)は、藤原為経との間に隆信を産んだ後、俊成と再婚しています。
というわけで、直接の血のつながりはありませんが、俊成を介した縁があるのです。
(ややこしい)
『建礼門院右京大夫集』が世に出るきっかけを作った藤原定家と隆信は母親が同じなんですね。
さてさて、藤原隆信のアプローチはこれからが本番です。どうなる右京大夫!
漫画は次回につづきます。
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さてさて、藤原隆信のアプローチはこれからが本番です。どうなる右京大夫!
漫画は次回につづきます。
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