平家が題材の江戸川柳が面白い!【コラム】
今回はコラムです。
しばらく重い話が続いたので、ゆるい話題で。(^^)
「平家物語」を題材にした、江戸時代の川柳を紹介します。するどいツッコミにシャレ、江戸時代の人のセンスがすごい。
※今回の記事は、阿部達二氏『江戸川柳で読む平家物語』(文春新書)を元に書かせていただきました。
■清盛と大輪田泊
大輪田泊の修復工事の最中、あと少しで完成するという時に陽が暮れかかったので、清盛が扇で夕日を招き返したという伝説から。
当時は日時計だったから、こんなことされちゃ暦博士もびっくりしたでしょうね。という話。
■清盛を諫める長男・重盛
鹿ケ谷の陰謀を受けて法皇を幽閉しようとする清盛を、重盛が朝恩を説き諫めた場面。
・・・の後の一コマ。
正論で説教する人が会議から出て行って、みんなやれやれホッとする感じ?(会社みたい)
平家物語では屈指の名場面なんですが、江戸時代の人の目の付け所おもしろい。
■重盛の他界
小松は重盛。蝶は平家の紋。
清盛を諫めることができる唯一の存在であり、後白河院との調整役でもあった重盛がいなくなって以降、平家は傾いていく。
上手い比喩。
■福原遷都
福原京には、ほめるものが海しかなかった?
■以仁王の挙兵(橋合戦)
宇治橋が外されていて、川を渡るしかないその時、宇治川に真っ先に入っていった足利忠綱。
忠綱が大きな声で細かい指示を出したおかげで、続く三百騎が無事に川を渡れた。
その指示が、
「強い馬を上手に、弱い馬は下手に、足の届く間は手綱をゆるめて歩かせよ。跳ねあがっったら、手綱を引き締め泳がせよ。遅れるものは、弓のはずに取りつかせよ。手を取り組み、肩を並べて渡してゆけ・・・(まだまだ続く)・・・まっすぐに渡して押し流されるな。流れに従ってななめに渡れや渡れ」
というめちゃくちゃ長いものだったので、
迎え討つ頼政の感想がまさかの「よくしゃべるなぁ」
■頼朝挙兵
かつて平治の乱の折に、池禅尼の命乞いによって助かった頼朝が、平家の仇となったよ、と。まぁそう言われるよね。
■富士川の合戦
水鳥の羽音に驚いて逃げたといわれる平家軍。立つ鳥あとを濁さずではなく、名を濁したと。
■宇治川の先陣
佐々木高綱と梶原景季の先陣争いが目立ちすぎて、三番目(畠山重忠)以降は目立たなくなってしまったと。
■一の谷の戦い
富士川で水鳥に慌てたと思ったら、今度は鵯越えで慌てるはめになったよと。
『源氏物語』の須磨の巻は優美だが、『平家物語』では修羅だと。上手いこと言った感。
忠度の和歌(さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな)は、定家の百人一首には入らなかったが、俊成の千載集には入ったよ、と。
上手いこと言うなぁ。
■屋島の戦い
逆櫓をめぐる言い争いから、義経と梶原景時との仲が曲がりだした、と。
平家にはまだ天皇と三種の神器がありますからね。
■壇ノ浦の戦い。
一度目は弁慶、二度目は教経。
■鎌倉幕府
朝日は朝日将軍木曽義仲、夕日は平清盛(扇で落日を招き返した逸話から)。
星月夜は鎌倉の枕詞。
結局最後は、鎌倉の頼朝だったよ、ということね。
そして、これを見て共感できるということは、なんの暗喩かわかるくらいの知識を庶民まで共有していたということですよね。
改めて、江戸時代の知的レベルの高さはすごいと思いました。
尚、江戸時代の人に人気だったのは、意外にも源三位頼政だったそうです。鵺退治の歌舞伎などで有名だったからでしょうね。
当時は維盛、重衡が人気というわけでもなかったんですね。
次回は、ふたたび「建礼門院右京大夫集」あらすじマンガ。
鎮魂と再出発編がはじまります。
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しばらく重い話が続いたので、ゆるい話題で。(^^)
「平家物語」を題材にした、江戸時代の川柳を紹介します。するどいツッコミにシャレ、江戸時代の人のセンスがすごい。
※今回の記事は、阿部達二氏『江戸川柳で読む平家物語』(文春新書)を元に書かせていただきました。
平家が題材の江戸川柳!
■清盛と大輪田泊
大輪田泊の修復工事の最中、あと少しで完成するという時に陽が暮れかかったので、清盛が扇で夕日を招き返したという伝説から。
当時は日時計だったから、こんなことされちゃ暦博士もびっくりしたでしょうね。という話。
■清盛を諫める長男・重盛
鹿ケ谷の陰謀を受けて法皇を幽閉しようとする清盛を、重盛が朝恩を説き諫めた場面。
・・・の後の一コマ。
正論で説教する人が会議から出て行って、みんなやれやれホッとする感じ?(会社みたい)
平家物語では屈指の名場面なんですが、江戸時代の人の目の付け所おもしろい。
■重盛の他界
小松は重盛。蝶は平家の紋。
清盛を諫めることができる唯一の存在であり、後白河院との調整役でもあった重盛がいなくなって以降、平家は傾いていく。
上手い比喩。
■福原遷都
福原京には、ほめるものが海しかなかった?
■以仁王の挙兵(橋合戦)
宇治橋が外されていて、川を渡るしかないその時、宇治川に真っ先に入っていった足利忠綱。
忠綱が大きな声で細かい指示を出したおかげで、続く三百騎が無事に川を渡れた。
その指示が、
「強い馬を上手に、弱い馬は下手に、足の届く間は手綱をゆるめて歩かせよ。跳ねあがっったら、手綱を引き締め泳がせよ。遅れるものは、弓のはずに取りつかせよ。手を取り組み、肩を並べて渡してゆけ・・・(まだまだ続く)・・・まっすぐに渡して押し流されるな。流れに従ってななめに渡れや渡れ」
というめちゃくちゃ長いものだったので、
迎え討つ頼政の感想がまさかの「よくしゃべるなぁ」
■頼朝挙兵
かつて平治の乱の折に、池禅尼の命乞いによって助かった頼朝が、平家の仇となったよ、と。まぁそう言われるよね。
■富士川の合戦
水鳥の羽音に驚いて逃げたといわれる平家軍。立つ鳥あとを濁さずではなく、名を濁したと。
■宇治川の先陣
佐々木高綱と梶原景季の先陣争いが目立ちすぎて、三番目(畠山重忠)以降は目立たなくなってしまったと。
■一の谷の戦い
富士川で水鳥に慌てたと思ったら、今度は鵯越えで慌てるはめになったよと。
『源氏物語』の須磨の巻は優美だが、『平家物語』では修羅だと。上手いこと言った感。
忠度の和歌(さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山桜かな)は、定家の百人一首には入らなかったが、俊成の千載集には入ったよ、と。
上手いこと言うなぁ。
■屋島の戦い
逆櫓をめぐる言い争いから、義経と梶原景時との仲が曲がりだした、と。
平家にはまだ天皇と三種の神器がありますからね。
■壇ノ浦の戦い。
一度目は弁慶、二度目は教経。
■鎌倉幕府
朝日は朝日将軍木曽義仲、夕日は平清盛(扇で落日を招き返した逸話から)。
星月夜は鎌倉の枕詞。
結局最後は、鎌倉の頼朝だったよ、ということね。
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江戸時代のセンスはすごい
いやぁ、江戸時代の人のセンスはすごいですね。
そして、これを見て共感できるということは、なんの暗喩かわかるくらいの知識を庶民まで共有していたということですよね。
改めて、江戸時代の知的レベルの高さはすごいと思いました。
尚、江戸時代の人に人気だったのは、意外にも源三位頼政だったそうです。鵺退治の歌舞伎などで有名だったからでしょうね。
当時は維盛、重衡が人気というわけでもなかったんですね。
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次回は、ふたたび「建礼門院右京大夫集」あらすじマンガ。
鎮魂と再出発編がはじまります。
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