波の底の資盛に【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】
旅に出た右京大夫でしたが、結局どこにいても悲しみは尽きないまま、都に戻ることになりました。帰り道の琵琶湖の湖畔で…
登場人物
平徳子(建礼門院)に仕えていた女房。
平資盛(たいらのすけもり)
清盛の長男[重盛]の次男。右京大夫の恋人。
荒き波にも たちまじらまし
259歌
恋ひしのぶ 人に近江の 海ならば 荒き波にも たちまじらまし
●現代語訳●
恋しいあの人に、この近江の湖で逢うことができるのならば、私は、この荒い波の中にだって入っていくのに。
※あふみ…「近江」と「逢ふ」の掛詞。
恋ひしのぶ 人に近江の 海ならば 荒き波にも たちまじらまし
●現代語訳●
恋しいあの人に、この近江の湖で逢うことができるのならば、私は、この荒い波の中にだって入っていくのに。
※あふみ…「近江」と「逢ふ」の掛詞。
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この歌を見たときに連想されるのは、討たれた夫(平通盛)の後を追って入水した小宰相のことです。
平家屈指のラブラブ夫婦・平通盛と小宰相について、『平家物語』(覚一本)に沿って簡単に紹介します。
この壮絶な小宰相の最期を伝え聞いたとき、右京大夫は、「かへすがへす、ためしなかりける契りの深さもいはむかたなし」と語っています。(165歌詞書)
もしかすると、悲劇とはいえ、愛を貫いた小宰相が羨ましかったのかもしれません。
右京大夫は、資盛に愛されていたとはいえ、正式な妻でもなければ、小宰相のように戦場を共にしたわけでもない。
共に波の底に入りたくても、それすら叶う立場ではなかったのです。
この259歌からは、そんな右京大夫の行き場のない想いが感じられるのです。
聡明で現実的な女性・右京大夫
彼女自身、そのことに引け目を感じているような記述が所々に見えます。
一方で、彼女は、神仏にも冷静な目を向けています。
あれだけご加護を願ってきたにも関わらず、資盛を助けてはくれなかったことに対して、
「神も仏も恨めしくさへなりて」(232歌詞書)と言い、
資盛のいない今となっては何も願うこともないと、
「なにごとを祈りかすべき」(253歌)とも言っています。
神仏がガチで信じられていた時代に、ここまで言ってのけた人は、なかなかいないんじゃないでしょうか。
また、悲しみにうちひしがれているときでさえ、そんな自分を客観的に眺めるもうひとりの自分がいて、「何の心ありて」と言ってしまう。(なに悲劇のヒロインぶってんだ?みたいなツッコミを自分に入れてしまう)(229歌詞書)
彼女は非常に聡明であったがゆえに、感情に走ることもできず、かといって資盛の為に表立って何かができる立場でもない自分自身に苦しんだような気がします。
彼女は、そんなやり場のない思いの全てを筆に託して、この『建礼門院右京大夫集』に昇華させたのかもしれません。