後白河院最愛の美女!滋子の訪れ【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】|平家と平氏の違い

平家の命運を切り開いた美女、建春門院滋子登場!
まずは、あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<88~89番詞書>より 
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。

◆解説目次◆ ・登場人物
・後白河院と平家をつないだ架け橋、平滋子
・「平家」と「平氏」何が違うの?

登場人物

建春門院(平滋子) けんしゅんもんいん(たいらのしげこ)
後白河法皇の后。高倉天皇の生母。平時子の異母妹。

平徳子  たいらのとくこ(とくし・のりこ)  
高倉天皇の中宮。

平知盛  たいらのとももり 
清盛の四男。徳子の兄。

右京大夫 うきょうのだいぶ
中宮・徳子に仕える女房。

後白河院と平家をつないだ架け橋、平滋子

 平家の命運は、滋子によって開かれ、滋子ともに尽きた、と言っても過言ではないと思います。

建春門院(滋子)は、清盛の正妻・平時子の異母妹です。
中宮・徳子にとっては、夫(高倉天皇)の母でもあり、自分の叔母でもあります。
んっ?系図をどうぞ。

滋子の父は鳥羽法皇の近臣でした。滋子が上西門院(後白河院の姉)に仕えていたときに、後白河院に見染められ、寵愛を一身に受けるようになります。

応保元年(1161)、後白河院と滋子の間に、憲仁親王が生まれます。
後白河院と清盛は、必ずしも政治的に意見が合致していたわけではありませんが、滋子の産んだ憲仁親王(高倉天皇)を擁立することで利害が一致し、以降、後白河院と清盛の連携が深まっていきます。
高倉天皇が即位すると、滋子は皇太后になります。

滋子は美しいだけではなく聡明な女性で、後白河院が不在の場合には、院に代わって日常的な政務を代行したとも言われています。

ところが、安元二年(1176)滋子は三十五歳の若さで生涯を閉じます。
後白河院と清盛は齟齬を内包しつつも、滋子の存在によって両者の均衡が保たれていたのですが、滋子の崩御によって、対立が顕在化していくことになります。

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後白河院と滋子の親愛ぶりは他に例をみないほどで、滋子はいつも側につきそい、熊野や厳島にも同行していました。崩御の直前の安元二年には、ともに有馬温泉に湯治に出かけています。

後白河院の寵愛を受けた女性は(男性も)、沢山いますが、滋子への愛は本物で最期まで揺らぐことはなかったようです。 あの後白河院を惹きつけてやまないのですから、ものすごい魅力的な女性だったんでしょうね。

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これは余談なのですが、右京大夫の恋人・平資盛も、後白河院との関係を疑われている一人です。 (えこぶんこは、信じな・・・いや、どうだろう)



余談でした。






「平家」と「平氏」、何が違うの?


平滋子も平氏ですが、清盛とは別の系統で、他人と言っていいくらい遠い親戚です。
滋子と清盛の繋がりは、滋子の姉・時子が清盛の妻になったことによる姻戚関係から始まります。

「平」は、臣籍降下した二世皇族に与えられた氏(うじ)名です。

滋子の平氏は、桓武天皇の孫・高棟王を祖とします。この系譜は、京都に留まり中下級貴族として、摂関家の家司等を務めていました。「堂上平氏」と呼ばれます。

 一方清盛の平氏は、桓武天皇の孫・高見王を祖とします。その子孫の多くは、関東に土着しましたが、清盛の5代前にあたる維衡が伊勢に進出し地盤を築きました。「伊勢平氏」と呼ばれます。
「伊勢平氏」は、伊勢と京都を行き来し、複数の上流貴族に武力や財力で奉仕していました。

「伊勢平氏」は、清盛の祖父・正盛の代に白河院に仕えたのをはじめとして、院の近習として徐々に力をつけていきます。鳥羽院に仕えた忠盛の代で、内昇殿が許されますが、殿上の間に上がるとは生意気だ、と貴族から嫌がらせを受けたという話が平家物語にあります。 まぁそのぐらいの家柄だったということです。

その子の清盛が、人臣最高位の太政大臣まで昇りつめるのですから、他の貴族からすれば、もう異常事態だったわけですね。
 (清盛には白河院の落胤説があり、高位につけたのはそのお陰だと噂されました)




参考文献:『日本史総覧』東京法令出版
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 さて、一般的に「平家」とは、この伊勢平氏の、特に清盛とその一族のみを指します。

 「平家」と「平氏」は混同されがちですが、「平氏」というと、平姓を賜った人の子孫全てを指すことになり、平家を倒した側の、北条・千葉・畠山・三浦・和田・熊谷・・・等も実は平氏を名乗っています。(自称・桓武平氏を含む)
「北条」「千葉」「畠山」は家名(通称)で、彼らも氏(うじ)名は「平」を名乗っているのです。

なので、よく言われることですが、「源平の戦い」というのは厳密には適切な表現ではなく、 実質は、「平家(伊勢平氏)」対「反平家勢力」の戦いでした。

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 一方、滋子の「堂上平氏」はあくまでも昔から京に根付いた文官の家であり、平家とは全く別物でした。

 滋子の兄(で、時子の弟)・平時忠は、平家政権を中枢で支えた人物で、平家一門と戦場をともにし壇ノ浦で生け捕りになるのですが、彼は堂上平氏だったためか、神鏡(三種の神器)返還の功績を理由に、刑は流罪に留まりました
 (というか、そもそも神鏡を持ち出したのも、時忠なんですけどね・・・)

 同じく生け捕られた重衡宗盛が、斬首の上晒されたことを思うと、その扱いの差は明確です。官位でいうと、宗盛の方が上だったのにです。
(時忠は正二位権大納言、宗盛は従一位内大臣)

 「平家」であるという理由だけで、何もしていない維盛の子・六代まで斬られたことを思うと、血脈というものは重いなと思い知らされます。
(六代の最期には諸説あります)

「平家物語」「平家」の物語であり、清盛の父・忠盛に始まり、その直系子孫・六代(維盛の子)の最期で幕を閉じるのです。



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さて、今回のお話では、『平家物語』後半の主人公と言ってもいい平知盛が、チョイ役で出てきましたね。ついでと言って手紙をことづけるような間柄だったということにちょっとびっくりです。
平家物語での知盛の活躍は、こちらの記事を参照ください。

平家物語のヒーロー・知盛が、ちょっとついでに手紙を運んでくれた・・・こいう日常の些細な一場面が垣間見れるところが、『右京大夫集』の面白いところですね。
次回は、高倉天皇登場です!




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※参考文献/久保田淳氏『建礼門院右京大夫集・とはずがたり』新編日本古典文学全集、小学館 /糸賀きみ江氏『建礼門院右京大夫集全注釈』講談社学術文庫/角田文衛氏『平家後抄』朝日新聞社/『平家物語大事典』東京書籍/『平家物語図典』小学館


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