内裏近き火事!たのもしい平重盛【建礼門院右京大夫集あらすじマンガ】平家物語
宮中エピソード編・第一弾は、平重盛登場! 内裏の近くで火事が発生?!
慌てふためく人々の目の前にさっそうと現れたのは・・・
近衛府というのはその字のとおり、天皇の近き衛り、内裏の内郭諸門を警備しました。左近衛府、右近衛府の二つからなり、幹部(大将・中将・少将)は、宮中の花形ともいえる役職でした。
平安時代モノの漫画や小説に、よく「中将さま」「少将さま」と呼ばれる人が登場しますが、これは、右近衛中将(少将)、左近衛中将(少将)のことです。
近衛というからには屈強な武人だったのかというと、そういうわけでもなく、近衛中将(少将)は、名誉職のようなもので、エリート貴族の出世コースとなっていました。
実務を担当した近衛将監以下とは、はっきりとした身分差があったようです。
権門の若き青年が務めたので、「中将さま(少将さま)」という呼び名には、カッコいい響きが伴うのかもしれません。
武官姿には、どうもコスプレ萌え要素があったのではないか、という話は以前の記事にも書きましたが、
このときも、非常時にも関わらず、武官姿の官人たちがキビキビと動く様に、つい見惚れてしまっているような描写です。
平治の乱(1160)からすでに15年。 平和な時代が続いていましたから、非日常の緊迫した空気の中、武官姿の男性たちが右に左にと駆けまわる様が、頼もしくも凛々しくも思えたのでしょう。
こんな悠長なことを言っていられるのも今のうちで、この五年後には、比べ物にならないくらいの大騒動(治承寿永の内乱)が始まるのですが、まだ誰も知る由もなかったわけです。
平重盛は清盛の長男です。
保元・平治の乱でも活躍し、 保元の乱では、清盛が制止するのも聞かず、源為朝に向かっていったという豪胆なエピソードが伝えられています。
重盛に関しては、今回のお話の武官姿もコスプレではなく、本物の武士の気迫を感じられるものだったでしょうね。
重盛の母親は身分が低かったため、重盛には母方の後ろ盾がありませんでしたが、その実績と人柄から、清盛の後継者として順調に昇進を重ねます。
重盛は、清盛から平家の総帥の地位を継承する一方、後白河院にも重用され、 清盛と後白河院という二大権力者の間で、調整役を担いました。
重盛は、曾祖父・正盛以来近しい関係にあった院の近臣・藤原家成・成親一族と深い姻戚関係を結ぶことで、院との結びつきを強めていきましたが、安元三年(1177)、鹿ヶ谷事件に藤原成親が関わっていたことで、一転、立場を悪くしてしまいます。
治承二年(1178)、時子の娘・徳子が高倉天皇との間に、言仁親王(のちの安徳天皇)を産むと、これによって平家は直接王家に介入するルートを手に入れ、時子の長子・宗盛が脚光を浴びていくようになります。
重盛は一応、徳子を猶子としていましたが、やはり、一族の中心となっていったのは時子の子である宗盛・知盛・重衡でした。
こうした中、治承三年(1179)、重盛は、42歳で生涯を閉じます。
「平家物語」では、清盛の悪行に心を痛めた重盛が、熊野参詣で自ら寿命の縮まることを願い、清盛が派遣しようとした宗の名医の診察も断ったということになっています。
重盛に先立たれた清盛は悲嘆にくれ、後白河法皇が、重盛の領地を没収したことに大いに怒り、これが治承三年のクーデターの一因にもなりました。
重盛の没後、平家の主流は、時子の子である宗盛兄弟に移り、後ろ盾を失った維盛たち小松の兄弟は、平家一門の中で孤立した存在になっていきます。
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※参考文献 /『建礼門院右京大夫集・とはずがたり』新編日本古典文学全集(小学館)久保田淳氏 /『建門院右京大夫集全注釈』講談社学術文庫 糸賀きみ江氏 / 『平家物語』新日本古典文学大系(岩波書店)梶原正昭氏・山下宏明氏 /『平家物語図典』(小学館)
慌てふためく人々の目の前にさっそうと現れたのは・・・
あらすじを漫画でどうぞ。
『建礼門院右京大夫集』<58番詞書>より
平清盛の長男。維盛・資盛の父。
右京大夫(うきょうのだいぶ)
中宮・徳子に仕える女房。
今回は少し時間を遡って、 右京大夫の恋人・資盛のお父さん、平重盛が活躍するお話です。
右京大夫集には「いづれの年やらむ、五節のほど」(いつの年だろうか、五節の頃)とありますが、この火事は記録が残っていて、安元元年(1175年)11月20日の火事のことではないかと指摘されています。
このとき重盛は、正二位。このくらいの高位になると、通常は武官の恰好をすることはなかったのですが、重盛は非常時とみて、ここぞとばかりに矢を背負って颯爽と現れたわけです。
「これでこそ、右近衛大将!」
とみんな、重盛の参上に安堵しました。
・・・え?
火事に矢がいるのかって?
(むしろ、ジャマでは・・・)
重盛は、近衛府の長官として中宮様をお護りします!という気概を見せたわけですね。
今回の話は、『平家公達草紙』にも採用されていて、そこではさらにグレードアップして、重盛は矢だけでなく銀の籠手をつけて参上したことになっています。火事に籠手は(略)
『建礼門院右京大夫集』<58番詞書>より
漫画は、原文を基にえこぶんこが脚色しています。
登場人物
平重盛(たいらのしげもり)平清盛の長男。維盛・資盛の父。
右京大夫(うきょうのだいぶ)
中宮・徳子に仕える女房。
近衛府は宮中の花形!
右京大夫集には「いづれの年やらむ、五節のほど」(いつの年だろうか、五節の頃)とありますが、この火事は記録が残っていて、安元元年(1175年)11月20日の火事のことではないかと指摘されています。
このとき重盛は、正二位。このくらいの高位になると、通常は武官の恰好をすることはなかったのですが、重盛は非常時とみて、ここぞとばかりに矢を背負って颯爽と現れたわけです。
「これでこそ、右近衛大将!」
とみんな、重盛の参上に安堵しました。
・・・え?
火事に矢がいるのかって?
(むしろ、ジャマでは・・・)
重盛は、近衛府の長官として中宮様をお護りします!という気概を見せたわけですね。
今回の話は、『平家公達草紙』にも採用されていて、そこではさらにグレードアップして、重盛は矢だけでなく銀の籠手をつけて参上したことになっています。火事に籠手は(略)
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平安時代モノの漫画や小説に、よく「中将さま」「少将さま」と呼ばれる人が登場しますが、これは、右近衛中将(少将)、左近衛中将(少将)のことです。
近衛というからには屈強な武人だったのかというと、そういうわけでもなく、近衛中将(少将)は、名誉職のようなもので、エリート貴族の出世コースとなっていました。
実務を担当した近衛将監以下とは、はっきりとした身分差があったようです。
権門の若き青年が務めたので、「中将さま(少将さま)」という呼び名には、カッコいい響きが伴うのかもしれません。
武官姿には、どうもコスプレ萌え要素があったのではないか、という話は以前の記事にも書きましたが、
このときも、非常時にも関わらず、武官姿の官人たちがキビキビと動く様に、つい見惚れてしまっているような描写です。
平治の乱(1160)からすでに15年。 平和な時代が続いていましたから、非日常の緊迫した空気の中、武官姿の男性たちが右に左にと駆けまわる様が、頼もしくも凛々しくも思えたのでしょう。
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こんな悠長なことを言っていられるのも今のうちで、この五年後には、比べ物にならないくらいの大騒動(治承寿永の内乱)が始まるのですが、まだ誰も知る由もなかったわけです。
平清盛が最も信頼していた息子、平重盛。
保元・平治の乱でも活躍し、 保元の乱では、清盛が制止するのも聞かず、源為朝に向かっていったという豪胆なエピソードが伝えられています。
重盛に関しては、今回のお話の武官姿もコスプレではなく、本物の武士の気迫を感じられるものだったでしょうね。
重盛の母親は身分が低かったため、重盛には母方の後ろ盾がありませんでしたが、その実績と人柄から、清盛の後継者として順調に昇進を重ねます。
重盛は、清盛から平家の総帥の地位を継承する一方、後白河院にも重用され、 清盛と後白河院という二大権力者の間で、調整役を担いました。
重盛は、曾祖父・正盛以来近しい関係にあった院の近臣・藤原家成・成親一族と深い姻戚関係を結ぶことで、院との結びつきを強めていきましたが、安元三年(1177)、鹿ヶ谷事件に藤原成親が関わっていたことで、一転、立場を悪くしてしまいます。
治承二年(1178)、時子の娘・徳子が高倉天皇との間に、言仁親王(のちの安徳天皇)を産むと、これによって平家は直接王家に介入するルートを手に入れ、時子の長子・宗盛が脚光を浴びていくようになります。
重盛は一応、徳子を猶子としていましたが、やはり、一族の中心となっていったのは時子の子である宗盛・知盛・重衡でした。
こうした中、治承三年(1179)、重盛は、42歳で生涯を閉じます。
「平家物語」では、清盛の悪行に心を痛めた重盛が、熊野参詣で自ら寿命の縮まることを願い、清盛が派遣しようとした宗の名医の診察も断ったということになっています。
重盛に先立たれた清盛は悲嘆にくれ、後白河法皇が、重盛の領地を没収したことに大いに怒り、これが治承三年のクーデターの一因にもなりました。
(別ウィンドウが開きます)
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重盛の没後、平家の主流は、時子の子である宗盛兄弟に移り、後ろ盾を失った維盛たち小松の兄弟は、平家一門の中で孤立した存在になっていきます。
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※参考文献 /『建礼門院右京大夫集・とはずがたり』新編日本古典文学全集(小学館)久保田淳氏 /『建門院右京大夫集全注釈』講談社学術文庫 糸賀きみ江氏 / 『平家物語』新日本古典文学大系(岩波書店)梶原正昭氏・山下宏明氏 /『平家物語図典』(小学館)